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ガンと闘い生還した人たちの真実の記録

天仙液体験記
●「ここでは死にたくない」と、自ら強制的に退院 木脇 教道
今思えば、99年の8月頃から、食事を摂ると胸がヒリヒリとしていたのが、ガンの兆候だったのでしょうか。その時は、胃の調子が悪いのだと思い、気にもとめずに胃薬を服用していましたが、改善されませんでした。「何か様子が変だな」と思いながら過ごしていたのですが、2000年の4月頃から、食べ物が喉につかえ、吐き気の繰り返すようになったので、総合病院で検査を受けることにしました。検査の結果、主治医からは、進行性の食道ガン末期で、大きさは5.5cmと告げられました。告知を受けた時は、非常にショックで目の前が真っ暗になり、奈落の底に落ちた思いでした。私の人生もこれで終わりかと、淋しい気持ちでいっぱいでした。同時に、妻や子供達の事、家のことなど様々な事が脳裏をかけめぐり、一抹の淋しさがありました。

主治医の説明では、私の住んでいる島内の病院では治療を行うには、設備等が不充分との事で、京都の大きな病院を紹介してくれることになりました。
そんな時、娘がインターネットで天仙液の事を見つけ、本屋さんで、「ガンに克つ・抗ガン漢方の驚異!!」を購入してきました。さっそく書籍と、送られてきた資料を熟読し、天仙液にかけてみようと決意しました。
6月初旬に、紹介された京都の病院に入院し、初めは手術を勧められましたが、手術をしてもガン細胞は完全には除去できないと言われていたので、手術を断り、放射線治療を選択しました。入院と同時期に天仙液が届き、藁にもすがる気持ちで、医師には内緒で天仙液を飲み始めました。放射線と化学療法を、繰り返し繰り返し受けました。しかしながら、食道から左胸の方に1pくらいの転移がいくつか見つかってしまったのです。入院して、2ヵ月が過ぎた頃、妻と息子が電話で呼び出され、主治医から「治療の効果がよろしくなく、食道ガンのほうも8.5cmと大きくなっていて、大動脈瘤のほうへ食い込んで、壁を突き破った時は出血してしまい・・・」と、生命の終わりを告げられました。私も同じことを聞き、気が遠くなっていたものの、「ここでは死にたくない。」と、自ら強行的に退院しました。

故郷の病院に戻り、胸の炎症を抑える治療と、栄養点滴を1ヵ月間ほど受けました。その間、ガン治療と思えるものは、天仙液しかないのですから、もちろん、これは欠かさず飲み続けていました。
転院して1ヵ月ほどの頃から、今まで全く摂れなかった食事も、おもゆが食べられるようにまでなり、身体も日々回復していることを感じ始めました。
そして遂に退院できるまでに回復し、家に帰れる日を迎える事ができました。我が家でリラックスしながら、天仙液治療のみを続けた結果、に、普通の食事が出来るようになり、体調も、ますます良くなってきました。自分では「ガン細胞が消滅している!」と、確信に近いものがあったものの、なかなか検査を受ける勇気がありませんでした。

退院してから1年後の2001年8月、妻と子供達から強引に検査を受けるように勧められ、不安を持ちながらも思い切って検査に望みました。
そして、検査結果を見ながらいわれた「ガンが消滅していますよ。」この言葉を主治医から聞いた時は、飛び上がらんばかりに嬉しくて、子供のように、はしゃぎました。

何の治療もせずに、天仙液だけを頼ってきたガンとの闘いでした。間違いなく天仙液のお蔭だと、感謝感謝の気持ちで目には涙が一杯になりました。神様、天仙液様、ほんとうにありがとうございました。


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