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ガンと闘い生還した人たちの真実の記録

天仙液体験記
●「今までとは違う。体の中で良い変化が起きている」 宮本宮子(妻)
「最近、顔色悪いし、しんどそうだし、一度病院で検診受けてみたら?」 主人の様子に「何かおかしい」とはじめて感じたのは、2000(平12)年8月ごろでした。病院など行ったことのない主人は「大丈夫。今までもストレスで胃がキリキリするときは、胃薬を服むと治ってたんだから」といい、何度すすめても決して行こうとしませんでした。

明けて2001(平13)年1月ごろには食事の量が半分になってきました。「食べたいけれど食べられない。これはただごとではないのでは・・・」主人が体力と痛みの限界を感じ、やっとのこと病院へ行く気になったときは、すでに半年が過ぎていました。

2月21日に初診。その日のうちに入院。検査結果は、進行性胃ガン、肝臓に転移、貧血(Hb5.7)。そして、末期であること、手術はできないこと、残されているのは抗ガン剤治療もしくは対症療法のみであることが知らされました。担当医が一言一言かみしめるようにいうのは最悪のことばかり。

末期ガンと聞いて、私は目の前が真っ暗になりました。ショックで頭の中はパニックです。「主人はこの告知をどんな思いで受け止めたんだろう。私が取り乱しては主人のショックがもっと大きくなってしまう。平常心でいなければ」私は表面だけでも冷静を装おうとしました。

退院。「抗ガン剤か対症療法か、どちらを選択するかをよく考えて、1-2週間のうちに結論を出したらいかがですか」との言葉を受けて自宅療養となりました。私は仕事へ行きながらも上の空です。食事もノドを通りません。1週間が何ヶ月もの長さに感じる日々が続きました。もちろん主人も食事が進まず、痛みがあり、日に日に弱って行きます。それなのにどうしてあげることもできません。

私は自分を鼓舞しながら、自身に必死に言い聞かせました。「泣いている場合ではない。何とか体力を回復させないことには、抗ガン剤治療も受けられない。あきらめてはいけない。何か手立てがあるはずだ」薬局や書店へ足を運び、ガンに効くものを探しました。キチンキトサン、アガリクス、プロポリス。そして新生血管を抑制してガンの増殖を止めるというサメ軟骨。主人はサメ軟骨の粉末を飲み始めました。でも1回に飲む量が多く、いつまで飲み続けてくれるか不安でした。

ある日、書店で『医者はガンを治せない』という本をみつけました。おもしろいタイトルに引かれて読んでみることにしました。天仙液との出合いです。私は「これならいける!」と直感しました。

3月13日、ガンセンター受診。初診からほぼ1ヵ月が過ぎた3月23日入院。肝臓が肥大していて、これは命取りになる。選択肢としては、このまま経過をみる、リザーバーを埋め込み抗ガン剤を投与する、肝動脈塞栓術の三つがある、と説明されました。迷いに迷ってあげく、主人はリザーバーを埋め込むことを選択しました。

輸血400ccを3回。少しずつ腹水も増えてきました。4月2日、手術。この日は顔色も悪いし体調も目立って悪く、ずいぶん心配しました。が、3時間ほどで無事にリザーバー留置術が終了しました。ホッとしたのもつかの間、娘が他県の大学に入学で引っ越しのため、私は2日間、主人の脇を離れました。気をもみながら4月5日に帰ってくると、主人はお粥を一口食べるのがやっとという状態です。IVHが入り、足はまるで象の足のようにパンパンにむくみ、肩でハッハッと呼吸しています。

昼夜を問わず背中と足の痛みを訴えます。私はそのたびにマッサージします。1日に何回かベッドにもたれて座るのがやっとの主人は、ほとんど寝たきりになってしまいました。腹水にガン細胞と血液が確認されました。肝機能の数値は690。腫瘍マーカーは15800。リンパ節にもガンが転移しています。主治医は、抗ガン剤が効く確率は非常に低く20%にも達しないかもしれない、抗ガン剤が効いたとしても間に合わないかもしれないと、きわめて厳しい状態であることが知らされました。

私は、そんな話を聞いても以前のようには落ち込まなくなっていました。絶対に負けないぞという強い気持ちが湧き出ていたからだと思います。4月9日から3日間連続で肝臓への抗ガン剤注入が行わることになりました。同16日からも3日間の注入する予定だとのこと。

そんな中、4月6日に天仙液が届きました。仕事を終えた私は、病院への片道1時間50分の道をクルマで飛ばし、主人のもとへ天仙液を運びました。説明書きには「24時間連続で抗ガン剤投与を受けるときの服用は、主治医に確認をとること」との内容が記されています。

「抗ガン剤が効く確率は低いと説明されましたので、ぜひ中国の漢方薬である天仙液を併用させていただきたいのですが、パンフレットをみていただけますか」私が主治医に申し出ると「いいですよ」と気持ちのよい返事。
私は半ば期待しながら主治医の返事を待ちました。

しかし「今までの実績がないし、どんな副作用があるのかも分からないのでダメですね」との結論です。半ば予測はしていたものの残念な答えでした。けれど、主治医には申し訳ないけれど、私たちには後がありません。「頑張って飲もうよ」私は主人にいいました。そして4月6日の夜から、1日3回、午前9時、午後3時、午後9時の天仙液服用を開始しました。

服用開始から3日目、主人は「今までとは何か違う。何か分からないが体の中で変化が起きているような気がする」といいました。「きっと天仙液が効いてきたのよ」という私に、主人は「車椅子で桜の花でも見に行こうかな」と返します。それまではいくら誘っても「しんどい」の一言だった主人がです。私はうれしくてなりませんでした。

いよいよ4月9日、抗ガン剤治療がはじまりました。どうか効果が出ますようにと祈っていると、なんと同12日にはお粥が食べられるようになりました。その翌日には足のむくみも少し引きはじめました。同25日ころには体重が6kgも減少。片方の足に約3sもの水がたまっていた計算になります。ずっと辛いことばかりが続いていただけに、私はこのときの感激を忘れることができません。

医学書を読んでみれば、抗ガン剤の効果はほとんど期待できない状態だったのです。
それなのに天仙液を併用したおかげで、みごとに効果が現れてきたのです。副作用である吐き気も脱毛もありません。それどころか出される食事の8割方を食べられるようになってきました。本当にありがたいことです。

5月3日、IVHがはずされました。これで、主人はお供なしで歩けるようになりました。5月1日からは抗ガン剤肝臓注入の3回目と、全身治療のための経口抗ガン剤投与の1回目がはじまっていました。
5月14日、白血球=4000、赤血球=361、Hg=8.5、GOT=71、GPT=55。CT検査では、肥大していた肝臓も小さくなっているとのうれしい結果でした。

5月22日、待ちに待った退院。週1回の通院でよくなりました。
と同時に経口抗ガン剤投与の2回目が始まり、よろこんだのもつかの間、夜になると1日に食べた物を噴水のようにドドッと、すごい勢いで1リットルくらい吐き出すようになりました。これで抗ガン剤はいったん中止になりました。しかし天仙液だけは飲み続けました。

受診すると「胃の出口に腫瘍があるので通過障害が起きているんですね。以前より悪くなっています。このままだと入院しなくてはいけないかもしれない」との診断。

6月22日に胃カメラ、7月5日にCT検査の予約となりました。6月13日に経口抗ガン剤投与の3回目がはじまると同時に3日に1回ほどの吐き気。1週間くらい大丈夫な日々が続くこともありました。
山あり谷ありの毎日でした。

7月3日の受診時には6月22日の胃カメラの写真をみせてもらいました。「以前と比べると、腫瘍がずいぶん縮小してよくなってますね。ガン縮小にともなってその部分が引きつるから通りが悪くなっているのでしょう。様子をみながら今後の方針を決めて行きましょう」

大変にうれしい結果がでました。いまだ食事量が少ないなど今後への不安はあります。けれどどんな苦境に立っても決してあきらめない強さは身につきました。信じるものがあれば心は強くなります。天仙液と出会えたことでミラクルを信じられるようになり、これからも希望をもって過ごして行けると思っています。


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