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ガンと闘い生還した人たちの真実の記録

天仙液体験記
●母は余命二ヶ月と言われてから二年近く生き抜いた 盧 苔苔
母がこの世を去ってからすでに5年が経ちましたが、今もテレビや空港の待合室、道端で年老いた女性を見ると母親を思い出し、私のそばにいるような気がします。

母の体に異変を感じたのは、1994年、けがした私のために、姉が母を連れて、当時、私が住んでいたサンフランスシコまで見舞いに来てくれたときのことでした。私は会った瞬間に、父が亡くなった悲しみによる体力の消耗に加え、かなりやせて顔色も悪く、元気のない母の姿を見て、長年の病院勤務の経験から母の健康状態に「危険信号」が灯っていると直感しました。

しばらく経っても、母の健康状態はいっこうに回復の兆しが見られないので、兄が母を連れて台北へ戻りました。帰国後の母は、咳がひどく眠れない夜が続いたそうです。

十数年来の喫煙者でもあったため、兄はあらゆる方法を用いやっとの思いで病院嫌いの母を検査入院させました。しかし、母は糖尿病および心臓病の持病があり精密検査が受けられないため、限られた診察と検査でしたが、「肺ガン」の疑いがあると、医師に言われました。また、75歳を超えた高齢であることから、西洋医薬を用いた治療手段はもうないだろうとも言われました。

そんな折、兄は母には漢方薬による治療しかないと思い、「天仙液」を探し出しました。私も医師の許可を得てアメリカから台北へ戻り、母と私の2人の闘病生活が始まったのです。

私は五人兄弟の、真中で、上に兄と姉、下に妹と弟がいるため、幼いときから母は兄や妹たちに気を取られ、自分だけがいつも「忘れられがち」だと感じていました。

しかし、母との最後の日々は一生忘れられない時間となりました。また兄弟からは“母を独り占めして・・・”という羨望の「クレーム」を受けるほど、母の愛情を感じることができたのです。

当時、医師からは余命2ヵ月余りと告知されており、治療方法が何もないなかで、天仙液と母自身のガンと闘う精神力だけで奇跡が起こりました。余命2ヵ月と宣告された母に、17ヶ月もの延命効果がもたらされたのです。

この17ヶ月にわたる2人きりの生活では、母の日のプレゼントを買うため、一緒に出かけたり、母が私に新しい洋服を買ってくれるというので、ショッピングをしたり、毎日、親子でどんな服を着るか、どんな食べ物を食べるかなどを語り、大変楽しい日々でした。また、母の楽しみの一つである「麻雀」も兄弟や友人たちの協力を得て、家には毎日違う人が訪れ、通常、想像するような闘病生活のつらさや寂しさなどは、いっさいありませんでした。

唯一、悩みらしい悩みと言えば、母は長い時間椅子に座ることができなかったことでしょうか。兄が按摩療法の専門家を呼び、毎日自宅でマッサージを施すという贅沢さでした。

そんな楽しい生活のなかで、私自身は婦人病に悩まされていました。そこで、兄弟からの勧めもあり、母の検診のついでに私も婦人科で診察を受けたのですが、結果は、良性卵巣腫瘍と診断されました。手術を受けるかどうかを悩んでいるうちに、1日4回、母に毎日天仙液を服用させる時間に、私も一緒に天仙液を服用し始めました。すると1ヵ月半後の検査で、なんと「腫瘍が消えた、手術の必要がない」と医師に言われたのです。

このような服用効果もあったため、母と私はいっそう「天仙液」の効果を信じ、毎日欠かさずに服用していました。しかし、母は服用1年半を過ぎたころ、高齢であることと、持病の糖尿病と心臓病が影響してか、薬の吸収が悪くなり、再び入院することになりました。

点滴しか受け付けなくなった母を見て、終末医療を施す以外、もう手がないことがわかりました。母ももう長くないと覚悟を決めていたと思います。そんなある日、亡くなる4、5日前のことですが、母が突然フライドチキンを食べたいと言い出したのです。私は病院の近くで必死にフライドチキンを探して買い求めました。母は満足そうな顔でひと口食べ、笑いながら、明日はステーキが食べたいと言ったものの、二口目のフライドチキンには手を伸ばしませんでした。

そんな母を見て、私は兄弟たちに覚悟が必要だと伝え、また、母に対しては体を痛めることなく、安らかに旅立たせたいという思いから、最後の延命措置放棄の同意書にサインをしました。それは、私自身、長年の病院勤務の経験から、延命措置の過程がどれほど患者さんと家族を傷つけ、つらい思いをさせるかを熟知していましたし、そればかりでなく、命の終焉を迎える患者さんに対する尊重もあり、延命措置のつらさから解放してあげたいという日的もありました、その夜、母の心電図の波形が平行線になり、眠るように息を引き取ったとき、私は泣きませんでした。

それは、天仙液のおかげて延命効果を得て、私との人生最高の17ヶ月を過ごすことができたからです。その上で、苦しむことなく安らかに旅立った、あの母の顔が一生忘れられないものとなったからです。


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